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てぃーだブログ › 風を感じて › 風景 › マンホールのふた

2008年09月04日

マンホールのふた

マンホールのふた


こんな、カラフルなのは初めて見ました。


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Posted by ゆふぃ at 08:00│Comments(2)風景
この記事へのコメント
さつま芋(のモト)を福建省から持ち帰り、
琉球の人々を飢饉から救った野国総管は嘉手納町野国出身。

だから、さつま芋(のモト)も、いわゆる黒豚もペリーの来訪も
薩摩よりも日本よりも琉球の方がずーっと先!

デカイ顔せんでほしいでごわす、かごんま!

じゃっどん、宮崎“篤姫”あおいちゃんはちゅらかーぎなんで許すでごわす。
Posted by しんすけ at 2008年09月04日 10:42
1604年、琉球王国(現在の沖縄県)に伝わる。
野國総管(明への進貢船の事務職長)が
明(今日の中国福建省付近とされる)からの帰途、
苗を鉢植えにして北谷間切野国村
(現在の沖縄県中頭郡嘉手納町)に持ち帰り
儀間村の地頭・儀間真常が総管から苗を分けてもらい
栽培に成功、痩せ地でも育つことから広まった。
野國総管は芋大王(うむふうすう)と称えられるが、
サツマイモを持ち帰ったこと以外は、よく知られていない。

1705年(1709年とするものもあり)、薩摩山川の
前田利右衛門は、船乗りとして琉球を訪れ、
甘藷を持ち帰り、近隣に広めて「カライモ」と呼び、
やがて薩摩藩全域で栽培されるようになった。
利右衛門は民間人として初めてサツマイモの栽培を
広めたとされ、「甘藷王」として地元であがめられ、
サツマイモの神様として祭られている。

ですって。100年も違いますね~。
Posted by ゆふぃ-->しんすけさん at 2008年09月04日 15:02
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